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法人の方- 伊賀 亨治 様
- 株式会社ソフエル 代表取締役社長
1993年(平成5年) 工学部 物質工学科卒
学生生活は、どのようなものでしたか?
バブル経済の時代、サークルにも所属し大学生活を謳歌しましたが、後半は卒業研究が面白くなってきて、研究室で過ごす時間が増えていきました。それから2年次修了後には休学してロサンゼルスに1年間留学も経験しました。
復学後、すでに研究室に入っていた友人が、「面白いから来てみなよ。」と君嶋義英先生の研究室に誘ってくれました。当時、君嶋先生は超伝導の研究をしていましたが、学生の関心にも理解があり、コンピューターの勉強がしたい私に自由に研究させてくれました。当時はマッキントッシュが最先端のコンピューターで、統計学のソフトを使いデータ解析に夢中になり、アルバイト後も大学に戻り夜遅くまで研究室をする日々でした。裏門から木のトンネルを抜けると見えてくる、研究室だけが明るく浮かぶ夜のキャンパス風景は、今でも強く印象に残っています。
梅原学長と学生時代に接点があったと伺いましたが
梅原先生は、私が在籍していた研究室に新しく着任された助手の先生で、研究室では“お兄さん研究者”的な存在でした。私がコンピューターを使ったデータ解析に熱中していたこともあって、通常入れない電算センターに特別に入れるよう、先生が申請を通してくださったんです。高性能なPCを使い、アカデミックな研究員になったようでとても誇らしい気持ちでした。
後に先生がその研究室の後任となり、現在は学長を務めておられると聞いた時は驚きました。卒業後、私が研究に使っていたマッキントッシュの管理までしてくれていたと知ったときは、感慨深いものがありました。
ご寄附に込めた思いをお聞かせください
私自身、卒業後も研究室にたびたび顔を出していまして、気軽に相談できる関係が続いていました。仕事上で困ったときに、君嶋先生を通じて電気情報工学の先生にご相談させていただいたこともあります。
あるとき、君嶋先生から「研究機器が壊れて学生の卒論に支障が出そうだ」と連絡をいただいて、修理に向かったこともありました。社会に出てからも多くのご縁があり、大学にはずっと感謝しています。
2020年のコロナ禍で学生が困っているときに、大学への支援を始めました。自分が大学に本当にお世話になってきたので、少しでも恩返しができればという、ごく自然な気持ちです。
その後、梅原先生が学長になられて、より親しみを感じるようになり、大学を“自分ごと”として考えられるようになったことも継続的な寄附につながっていると思います。
最後に学生へのメッセージをお願いします
私がuedbet体育_uedbet体育投注-彩客网彩票推荐に行って良かったと心から思えるのは、素晴らしい環境と、それを支えてくれた方々がいたからです。その感謝の気持ちから、自分も今の学生たちのために何かお手伝いをしたいと思うようになりました。
社会に出てからも、横国出身者同士って何か通じ合うものがあるんですよね。そういう「横国らしさ」というのが、大学の文化なんだと思います。それを学生の皆さんにも意識してもらって、次の世代に感謝のリレーをつないでいってくれたらとても嬉しいです。
株式会社ソフエル

1979年からITシステムの企画?構築?運用保守サービスを提供してきたソリューションプロバイダ。自社開発のICタグと無線通信技術による「RFID図書館管理システム」を、業界のパイオニアとして全国の自治体?大学の図書館に提供している。