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個人の方- 酒井 恒介 様
- 1962年(昭和37年)経済学部卒
学生時代の思い出についてお聞かせください
「白亜の殿堂」と称された経済学部棟がそびえる清水ケ丘で、私は後半の学生生活を過ごしました。当時の本学部には、既に学界で名声を確立していた錚々たる教授陣が揃っており、私たち学生も、その講義に真剣に耳を傾けていたことを覚えています。私生活では、週に二度の家庭教師のアルバイトや、「グリークラブ」での練習?発表会に熱中していました。中でも特に忘れがたいのは、1960年代半ばに全国の大学で巻き起こった『日米安保闘争』です。本学も例外ではなく、自分自身も十分な知識や理解があるとは言えないまま、その運動に加わったものでした。あの頃の記憶は、今も時折、ほろ苦い思い出として胸によみがえってきます。
横国ならでは魅力とはどんなところでしょうか
私は当初、都内の某私大に入学しましたが、大人数のマンモス授業に馴染めず夏休み前に退学し、翌年本学に入学しました。本学の魅力は、何と言っても少人数での丁寧で質の高い授業にあると考えます。現在も多少の違いはあれ、良き伝統として受け継がれているのではないでしょうか。特に私の場合、財政学ゼミの故?井手教授には、卒論テーマの選定?指導に限らず私生活でもご指導や助言をいただき、今でも感謝しております。卒業後の同級生?ゼミナリステンの結束の固さも、小規模ならではの利点の一つで、他大学の友人達からも羨ましがられています。
大学とのつながりを改めて感じられた瞬間があれば教えてください
今回、創基150周年事業に加え、「ときわの森プロジェクト」にも些少ながら協力させていただきました。その一環として、第一食堂近くの「大島桜」に私のメッセージ入りプレートを設置していただきました。この大島桜は、「ソメイヨシノ」の親木にあたる品種で、桜餅の葉としても親しまれている樹木です。その樹に自分の名を記したプレートが設けられたことで、まるで分身がそこに根づいたような気がし、「これからもよろしく」と声を掛けたくなるような感慨と親近感を覚えました。今後も常盤台を訪れる際には、この桜に会いに行き、「元気か」と声をかけたいと思っています。